猫とチョコレートと睡眠と

感覚で生きてる

家族のこと

今年は日記を書く癖を身に付けたいと思っているけど、一日のスピードが尋常じゃなくて気づけば二月も終わるね。

冬は好きだけど寒いのは飽きたな。春は苦手だけどあったかいのは好きだな。

いつもチグハグだ、それが自分らしさだ。

 

あたしは環境コンプレックスの塊だと思う。

中学に入るぐらいから父は家に籠るようになって、母は夜中まで働きに出るようになって

何だかおかしいかもしれないと思い始めていたけど、思春期のあたしからしたら親の存在は絶対的な存在で、否定の言葉は許されない気がしていた。

友達からも、「お父さんとお母さんはなんの仕事してるの?」と聞かれるたびにただただ笑って誤魔化していた。

その状態が続いて何とか高校は入学したけど、もちろん自分の部屋なんてなかったし、兄はどうしようもないクズになって、親からもあたしからもお金を盗むことは日常茶飯事で。

高校の時に稼げるバイト代なんてたかが知れてるのに、必死に働いたお金を当たり前のように盗られるなんて、ましてやそれが家族だなんて、こんなしょうもない事実があってたまるかよ、なんて思ってた。

だから兄のことは未だに好きじゃない。興味もない。好きに生きて好きに死んでくれ、の感情しか湧かない。

結局あたしは高校を辞めて、ほぼ毎日働いていたけどその頃から親との亀裂がすごかった。

母も毎日暗い顔をしては「死にたい」と繰り返していたし、父からは「お前はほんとうにイライラさせる存在だ」と暴言を吐かれていた。

 

あたしが一体何をしたんだ、作りたくて作った子じゃないなら何で産んだんだ、親戚と会うたびにまともな家庭だとあたしに嘘をつかせるんだ、お母さんは何だってそんな毎日辛い顔をするんだ、クズな兄と比べてはあんたは一人でも大丈夫だよねなんて言わないでよ、あたしだって感情があるのに、思ってること山ほどあるのに、我慢なんて本当はしたくないのに

 

とりとめない感情を持ってたこと、今でも覚えている。

心の隅っこにはいつだってあって思い出すだけでめちゃくちゃ泣けるのよ、未だに。

 

自分が一番不幸だと本気で思っていたし、ボロボロだったから他人のことなんて見えてなかった。考えようなんて微塵も思わなかった。

10年経った今ではあたしよりも苦しんでる人や辛い人が世界中にはたくさんいることを知っている。

知っているけど、もし親友や大好きな子が悲しんでたら「ほかにもっと辛い思いしてる人はたくさんいるよ」なんて、愚かなことは言えない。

 

家族のことが大切で仲良しな人達もたくさんいることは知っている。

大事にしている人を見ると幸せな気持ちになる、これは嘘なんかじゃない。

そのうしろで、勝手に劣等感に押しつぶされる自分がいることも本当で。

生きるうえで、あたしはあたしを一番誰よりも肯定しているけど、これだけは自責の念が消えない。

父も母も基本は好きだけど、死んだらもちろん泣くだろうし悲しむんだろうけど、家族なのかと問われたら頷けない。

血が繋がっている感覚もなければ、一番遠い他人のようにも思えてくる。

その考えこそが間違いだと思ってしまう。

自分が気持ち悪い人間になってしまう。

自分のせいにもできない、他人のせいにもしたくない、はっきりと言葉にできない感情がついてくる。

孤独とはこういうことを言うんじゃないのか、そんなことさえ思う。

 

自分の気持ちを外に出すことで、本音を言うことで、誰かしら傷付けることは分かっているのに。

傷付けたい訳じゃない、そんな訳ないじゃない。

着地点が見えない気持ちに殺される感覚、だれかに分かってほしい。なんてね。

 

ただ自分の話がしたかった夜です。

あたしの心に神様はいるのかなあ、

ほんの一握りのささやかな望みだけで生きていけるのに。

 

みんなも、あたしも、幸せに生きようね。